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ブックレビュー(4)『夜と霧』ー誰にも奪えない、各人の未来を信じよう

心理学者、ヴィクトール・E・フランクルが、アウシュヴィッツで有名な強制収容所での収容所生活を被収容者の一人として綴った本書は、今なお多くの人に読み継がれる名作である。

 

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『夜と霧 新版』ヴィクトール・E・フランクルみすず書房

 

「読もう、読もう。」と思いながらなかなか読めずにいたのだが、先日ふと思い出し、この機会にと手を伸ばしてみることにした。原著が最初に書かれたのは1947年。過去実際に起こった悲惨な過ちとも言うべき歴史を学ぶことは意義があると思い読み始めたが、読後現代にも通ずる人間の本質やあるべき姿、教訓が多く記されていることに新鮮な驚きを覚えた。

 

本書は大きく分けて3部構成となっており、収容所での事実・経験を、著者の経歴により心理学的立場から解明しようと試みている。強制収容所に収容される第一段階、収容所生活を描いた第二段階、そして収容所を解放されてからの第三段階、である。

 

第一段階

ショック作用や「恩赦妄想」に見舞われる。収容所に収容されることになったにもかかわらず、希望を持ち、事態はそんなに悪くないだろうと楽観的に捉えていたという。

 

第二段階

「感動の消滅段階」へと移行する。内面がやがて死んでいき、冷淡さや無関心さを備えるようになる。自分や仲間が殴られたり罰を受けることに、何も感じなくなる。しかしこれは同時に、理由もなく殴られることもままあった被収容者の心を守る盾にもなっていたという。

 

第三段階

収容所から解放されたという現実が夢のように感じられる。また、突然精神の抑圧から解放されたために、権力や暴力に捉われた心的態度を見せたり、もとの生活に戻り世間と接触した際に不満や失意が引き起こされたりする。

 

 ここでは大まかに被収容者の心的描写を紹介するにとどめたが、食事は十分に摂れないうえ、常に厳しく監視され、体が満足に動かない状態であっても労働を強いられるなど、収容所生活が過酷だったことは、想像に難くない。

 

しかし著者は、こうした厳しい環境であっても、思いやりのある言葉をかけたり、わずかの食料を他人に譲ったりする人たちの存在を認めている。強制収容所において全てを奪うことは可能だが、与えられた環境でいかに振舞うかという、人間の最後の自由は奪えず、実際にそうした例はあったと述べている。どんな環境であっても、その人の心持ち次第で状況の改善は図ることができ、「精神の自由」は常に私たちと共にあると言えるのかもしれない。

 

またさらに、自分の未来に対して希望を持ち続ける大切さを説いた上で、こう述べる。

 

このひとりひとりの人間にそなわっているかけがえのなさは、意識されたとたん、人間が生きるということ、生きつづけるということにたいして担っている責任の重さを、そっくりと、まざまざと気づかせる。自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。まさに、自分が「なぜ」存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ。(p. 134)

 

これは、高度に発達した現代に生きる私たちにも大きな学びを与えてくれる言葉だ。学校や、職場や、家庭で、一人ひとりがそれぞれの役割を担っている。しかしながら、時に「生きる意味がわからない」と、その役割を見失ってしまうこともある。私たちは常にかけがえのない存在であり、個々に個性があり、役割があるのだと、著者は教えてくれる。

 

以上のように、この本はもうずっと前に書かれた作品であるが、ここから私たちが学とれることは決して古びていないと思う。ここで紹介した以外にも、興味深くまた考えさせられる内容が数多く書かれている。歴史に詳しくなくても、読みやすい作品となっているので、ぜひ一度読んでいただくことをお勧めしたい。